クラリネット奏者 人見 剛
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プロフィール

 1972年6月4日東京生まれ、岡山育ち。3歳よりピアノ、12歳よりクラリネットを始める。島根大学教育学部特音過程を経て、1996年渡独。ドイツ国立エッセン・フォルクヴァンク芸術大学及び同大学院ソリスト科にて学ぶ。2002年ドイツ国家演奏家試験合格。演奏家試験の際にはヴッパータール交響楽団とL.シュポア作曲クラリネット協奏曲第4番を協演した。

 エッセン芸術大学在学中より、数多くのオーケストラ、オペラ公演への参加や、ソロ・室内楽でのコンサートの企画・開催を中心に活動する。その中でも、2005年3月より2007年4月にかけ、スタンウェイハウス・デュッセルドルフで6回にわたり開催したソロリサイタル・シリーズ「Klarinettenabend(クラリネッテンアーベント)」は毎回好評を博し、2006年5月に行われた「Vol.5」は、デュッセルドルフ市及びノルトライン・ヴェストファーレン州の主催行事として開催された。

 2007年6月帰国。
 日本に活動拠点を移してからも、独自のスタイルで多くの演奏会を企画し、好評を得ている。2012年には鳥取県オーケストラ連盟演奏会にソリストとして招かれ、モーツァルトのクラリネット協奏曲を協演した。
 室内楽の分野では、Ensemble BarBier(2012年より・クラリネットアンサンブル)、黎五重奏団(2018年より・弦楽四重奏とクラリネット)、TRIO B&B(2019年より・ピアノ、チェロとのトリオ)等を結成し、精力的に活動している。

 また、教育者としても積極的に取り組んでおり、クラリネット指導だけでなく、室内楽や管楽合奏(オーケストラ管分奏や吹奏楽)指導にも定評がある。

 島根大学では手塚実(現・山梨大学教授)、エッセン音楽大学ではWolfgang Esch(デュッセルドルフ交響楽団首席クラリネット奏者)の各氏に師事。また、村井祐児、森田利明、芦田修次の各氏のもとでも研鑽を積んだ。



 以上が僕の公的プロフィールです。
 でもこのページを訪問してくださったみなさまに、もう少し「人間 人見剛」を知っていただきたく、生い立ちなどを書いてみました。

 3歳で始めたピアノの先生は母親。自分でやりたいと言い出したとは母の談だが記憶なし。子供時代は毎日たった30分の練習にも耐えられなかったため上達せず、始めた年齢だけ巨匠級。この頃に一番頑張ったことは空手(初段・小6の時に組手で中国地区大会準優勝はプチ自慢)。

 中学に進み吹奏楽部に入り、クラリネットと出会う。最初の希望パート打楽器は人数オーバー。結果吹奏楽で大量に必要なクラリネットパートの一員となる。この時に人生を誤ってしまった・・・?。そもそも、吹奏楽部に入るか野球部に迷った末の選択。ここでも・・・?。

 それはともかく野球好きな僕は中学高校(一貫教育校)時代は吹奏楽部と週末に部員有志で興じるソフトボールに明け暮れる。ソフトボールが渡独後に役に立つ事になるとはこの頃にはつゆ知らず。大学は島根大学へ。身長が人よりあったので入学したての頃には先輩方から「なぜ体育科の人がここに?」と思われたり、アメリカンフットボール部の人に本気で勧誘されたりしたものの、今はなき教育学部特音課程(「特別教科(音楽)教員養成課程」の略)で4年間楽しく過ごす。4年間親子のようなお付き合いをさせていただいた師、手塚先生には何より人間として、男としての生き方を習う。

 島根大学卒業後、ふと差し込んだ光の方向に進むとそこはドイツ。Guten Tag(グーテン・ターク)しかまともには使えないのに単身渡独。それ故にかけた迷惑数知れず。様々な方のお世話になりながら、またまた楽しい学生生活をはじめる。大学で師事しその後もずっとお世話になっている師匠Wolfgang Esch(ウォルフガング・エッシュ)は、かのKarl Leister(カール・ライスター)の愛弟子。いろんな事がそっくりであった。半ばだまし討ち的にドイツクラリネットに転換させられてしまったが、そのお陰でたくさんオーケストラの仕事に連れて行ってもらい、隣で演奏しながら学ぶ機会を多数受けることが出来た。

 ドイツで10年間住んだ街、デュッセルドルフは僕がいた当時総人口の1%が日本人(約7,000人)。前半5年間はほとんど日本人コミュニティーを知らずに過ごしたものの、日本人の生徒が増えたり、ソフトボールの大会に参加するようになり、残り5年間はどっぷりと「ドイツの中の日本」のお世話に。僕の演奏家としての活動を大きく支えて頂いた。渡独十周年の日(2006年10月4日)、ドイツを十分に楽しんだことを実感し、日本への完全帰国を決意。
 そして2007年6月2日、笑顔で帰国。現在、日本でも楽しくやるため模索しながら奮闘中。


 ◆大好きなもの その一:ビール

 それまではおいしいと思ったことのなかったビールが大好きになったのは大学2年のクラリネットの前期試験の数日前。なんだか煮詰まってうまく吹けなくなっていた僕を見かねた、当時伴奏をお願いしていた先輩(女性)ピアニストが一言、「今日は練習やめ!今からビール買って帰って、それを冷蔵庫に入れ、熱いお風呂に入って、出たら冷蔵庫からそのビール出して飲んで寝なさい」。言われたとおりに実行し、ビールの虜になる。以来、ビールを飲まなかった日は数えられる程度。おいしいビールのために留学先をドイツにしたのでは?と言われてしまう事も。ドイツが恋しいとすれば、ビールである。

 よく「酒豪」と思われがち。飲酒量は確かに酒豪並みだが、ほぼビールしか飲まないので、正しくは「ビール豪」であろう。
(2019年追記:最近はワインや日本酒も大好きになりました(笑)。)

 ◆大好きなもの その二:スポーツ

 きちんと習ったスポーツは空手のみ。ほかに、水泳や陸上を一時期は一所懸命取り組んだ。
 自分がする一番好きなスポーツは野球やソフトボール。中学に入り、部活動の体験入部で真っ先に行った先は野球部。結局は吹奏楽部に入るのだが、部室には何故か大量のグローブとバットとボールがあり、休日の部活の終了後にはよく部員有志でソフトボールをした。僕が住んでいたデュッセルドルフの日本人コミュニティーでは、年に二度約60チームのエントリーで行われるソフトボール大会があり、10大会参加。
 見るのは欧州サッカー。長期海外滞在からの帰国が決まり、「思い出作り」として大多数の人が考える残りの時間ですることの定番は旅行だが、僕はサッカー観戦。大好きなチームWerder Bremen(ヴェルダー・ブレーメン)とドイツ代表の試合をしっかり堪能した。生で見たドイツ代表フォワードKlose(クローゼ)の数々のゴールシーンは忘れられない。
(2019年追記:でもやっぱり一番好きなのは野球かもしれません(笑)。)

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