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クラリネットとの出会いまで(ツヨデキ1-1)

とりあえずは音楽の話と言うか、自己紹介というか…とにかく、趣味に偏り過ぎないお話からこのブログを始めようと思います。



3歳で家でピアノを教えていた母の生徒となり、音楽を「習う」事が始まりました。

普通の子は週に一度のレッスンの時だけ先生の前でピアノを弾くわけですが、僕は練習時にも「先生」の耳に音が届いてしまうという厳しい環境下にありました。それにもめげず、辞めると言う事がいやだった僕は、妹や弟が脱落していっても何となく母にピアノを習うことを続けておりました。決して真面目に取り組んでいたわけではないので、始めた年齢のみが巨匠級。僕が育ったのは岡山県の田舎町で男の友達にピアノを習うものは(多分)おらず、遊ぼうと誘いに来る友達に「ピアノの練習をしてからじゃないと…」と言って「女みたい!!」とからかわれるのが嫌だったのも、ピアノを一所懸命出来なかった理由の一つかも知れません。

あと、「ヒーローの不在」も。母にはよくテレビで放送される巨匠ピアニストのリサイタルを見させられたり、当時はまだ本当に希少だった岡山や倉敷での有名ピアニストのリサイタル等に連れて行かれ、凄い演奏を小さい頃から耳にしていたはずなのですが、あまりにもかけ離れた存在に思えて、憧れることさえも出来ませんでした。それよりは、テレビの歌番組をにぎわすアイドル歌手や、王選手や原選手などの巨人のプロ野球選手たちに憧れました。

おお、ピアノ弾いてる!!小6か?





幼稚園に入るか入らないかの頃だったと思います。ヴァイオリンを習うと言う話が持ち上がりました。ピアノと同様、僕が習いたいと言ったのか、母がやれと言ったのか、はたまた母が誘導尋問のごとく丸め込んで「やりたい」と僕に言わせたのかは今となっては全くわかりませんが、気がついたら既に習いにいく先生も最初のレッスンの日も決まっていました。しかし、僕は一度もレッスンに行かないうちにヴァイオリンを辞めてしまいます。

これだけはハッキリと覚えていますが、さあ今日ヴァイオリンの先生の家に行きますよと言う日、僕はわんわん泣いて行きたくないと言いました。ヴァイオリンは小さいときに始めないとダメなんだよ、今やらなかったもう二度とヴァイオリンは弾けないんだよ・・・などと説得されたんだったと思います。しかし、どうしても行きたくないと僕が言い張ったので、僕がヴァイオリニストになる道はそこでなくなりました。



小学校6年生の時だったと思います。岡山に某放送局のオーケストラがやって来て開いた演奏会を聴きました。オーケストラの演奏を聴くのは初めてではありませんでしたが、そのとき初めて、とても楽しそうだな…やってみたいな…と思いました。しかし、ヴァイオリンを習うのを辞めた時に言われた言葉から、12歳からではもうオーケストラの楽器を習得するのは無理だろうなとその時思って、少しがっかりしました。

またやはり小学校6年生の時、母がベートーヴェンの第9の合唱に加わり、演奏会に出演しました。これにも大変圧倒され、オーケストラは楽しいと思いましたが、やっぱり僕にはもう遅いんだろうなとがっかりしました。



中学は中高一貫教育のK学園と言う所に進みました。

入学式のために体育館に入場すると、何か音楽が鳴っていました。しかし、特に興味を持つとも無く、みんなに続いて自分の位置まで進み、着席。式の中でも学園歌(校歌)や退場の時に体育館の後ろの方で何かを演奏している人たちがいた事は認識しましたが、だからと言って興味をその時は持ちませんでした。



入学後1〜2週間たったとある日、吹奏楽部の「新入生歓迎演奏会」と言うのが中学の校舎の前で開催されました。この時初めて、吹奏楽の演奏をじっくりと意識して聴きました。しかし、この時の僕は「やっぱりオーケストラの方が・・・」と思っていました。しかし、お行儀良く座って演奏している大勢の中、数人の打楽器パートの人たちが動き回り、次々と色んな楽器を派手に鳴らしている姿や、デーンと一番後ろに控えるドラムセットには目を奪われました。カッコいい!!と。



5月になり、体験入部(2日間あった)の日になりました。巨匠ピアニストよりも原辰徳(現・巨人監督)に憧れていた僕は、野球部の体験入部に行きました・・・が、何故か全く楽しくなく、2日目にはもう野球部には行きませんでした。いろんな部・・・吹奏楽部も含めて・・・をのぞきに行きましたが、これと言って心から入りたいと思える部がなく、帰宅部かなあ・・・と思いながら、体験入部の2日間を終えました。



そしてその次の日の放課後、K学園に入って最初に出来た友達タケシ(仮名)が「一緒にブラス入ろうや」と言ってきました。あまり乗り気ではありませんでしたが、新入生歓迎演奏会での打楽器の雄姿が脳裏をよぎり、一緒に行くことにしました。そして、部室に入り先輩部員に入部希望の旨を(タケシが)告げると、黒板を指さされました。そこには、各楽器の新入部員の入れる枠が書いてあり、既に体験入部の時点で入部を決めていた人たちの名前でほぼ埋まっていました。バーっと見て僕は打楽器にまだ空き枠があるかどうかを探すと、二つある受け入れ枠に既に一人入部希望者の名前があり、残りは一つでした。で、一緒に来たタケシに希望の楽器を尋ねると、ヤツも打楽器だと言うではありませんか。自分も打楽器がやりたいなあと告げました。が、お互い譲る気はなく、かと言って話し合うでもなく・・・ちょっとの間、無言のにらみ合いがありました。それに耐えられなくなったのは僕の方で、タケシに打楽器を譲ることにしました。



打楽器の先輩にタケシは連れ去られてしまい、僕は部室にポツンと一人きりになってしまいました。すると、ヒョロッとした中3の先輩が僕の所へやって来て、僕に尋ねました。



「楽器決まった?」

「いいえ、まだです」

「じゃあ、クラリネットやろう!!」



そう言えば、空き枠がもう一つあったのはクラリネットだけでした。



「は・・・はい」



しかし、楽器といえばピアノかヴァイオリンか・・・くらいしかちゃんと認識していなかった僕は、クラリネットってどんな楽器だったっけ?と思いながら、大勢の人がいてピーピーキャーキャー音が鳴ってる場所の方へ連れて行かれました。



(つづく)



過去の栄光(笑)1990年8月 メルボルン・シンフォニーホール



最初っから長文ですね。息切れする予感・・・。

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