- 2008年2月27日 21:22
- Ich stelle mich vor(ヒトミツヨシの出来かた)
突然現れた先輩…コウジさん(仮名)と言った…に連れられて行った先には、十数人の先輩らしき人たちと、6人くらいの中学一年生がいました。そこでは、先輩たちがそれぞれなんか真っ黒なでっかい縦笛のようなものを吹き、中一の人たちは何かちっちゃなものを手に持ってピーとかキャーとか鳴らしていました。そのでっかい真っ黒な縦笛がクラリネット、ちっちゃい物がマウスピースと言うのだとコウジさんが教えてくれました。僕はその計約20名の前で紹介され、ある先輩が僕にもマウスピースを渡してくれました。そして、ピーキャーの集団に僕も加わりました。
とても親切にどうやってこのマウスピースをくわえるのかを先輩に教わり、思い切って息を吹き込みました。クラリネッティスト人見剛の人生初の音は・・・!!!
「すー(注:息の音)」
何度やっても
「すー」
一時間くらいたって、部の幹部に新入部員が集められて部活の説明を受け始める時まで、とうとうキャーともピーとも鳴らす事が出来ませんでした。今考えると、全く音が出なかったと言うのはリードに問題があったとしか考えようがないのですが、この時まで「音楽は人より出来るもの」と認識していた僕にとっての初めての自信喪失でした。
普通ならここで、よーし!絶対練習してうまくなってやるんだ!!と思う所なのでしょうが、何故かその時には、こんなつまらないもの、絶対長続きせずやめるだろうな・・・なんてネガティヴに考えていました。
家に帰り、「ブラスに入りなさいよー」と入学直後から言っていた母に入部した旨と配属楽器を報告すると、一言「何でチンドン屋の楽器になんか・・・」と言われました。僕自身はチンドン屋を見た事がなかったので正確なイメージはわきませんでしたが、何となく馬鹿にされたような気がし、それがあんまり嬉しくなかったことは覚えています。
2日目以降は無事に音も出ました。もともと大勢で何かをする事、特に合奏は幼稚園の時代から好きだったので、朝練ありだし休日返上だし、時間にも厳しいという部活動でもサボらず行っていました。入部して1ヶ月くらいの頃に、音楽鑑賞教室で何と東京K成ウィンドオーケストラが学校にやって来て、本物の吹奏楽の素晴らしさを知る事も出来ました。さすがに毎日していれば、全く音が出なかったクラリネットも少しずつ上達し、そのうち合奏にも加わり(注:もちろん、僕一人ではなく中一全員)演奏会にも出たり、冬休みには中国に演奏旅行なんか行ってしまったりして、「部活動」そのものにはどんどん没頭していきました。
しかし、ピアノの時と同様、どうしてもクラリネットをカッコいいと思えませんでした。代わりに、そのころブームになりつつあったロックバンドへ興味を持ち始め、中二のはじめ頃にはまず友達からエレキギターを借り、そのうちに貯めたお小遣いで自分のギターも手に入れたりして(注:この時にはまだ自分のクラリネットを持っていなかったにもかかわらず)部活ではクラリネットの、家に帰ったらギターの練習に一所懸命になるようになりました。しかし、自分ではクラリネットもギターも気分良く奏していたつもりでも、どちらもあまりうまくなれないのが現実でした。テレビ番組に良く映ってた分、憧れ度としてはこの頃はギタリストの方が上だったかもしれません。
中三になり、下には2学年も後輩たちがいて、部内でもパート内でも中堅として生意気振りを発揮し始めていました。
(注:中高一貫校で6学年で部活動をしていたため、最高学年は高三)
毎年夏休みには3泊4日で、K学園の経営団体の施設で吹奏楽部の合宿は行われていました。前年、前々年とのクラリネットパート強化策は、音楽大学に進んだ卒業生がやってきて教えて下さると言うものでしたが、この年にはクラリネットの先生を外部からお呼びしたとの事。何となく厳しそうな女性の先生を想像していると、ヒョロッと背の高い、当時既に身長が180センチあった僕よりも更に大きいのではないかと思われる男性がフラフラッとクラリネット片手に現れました。先輩の一人は既に顔見知りらしく、挨拶をしていました。
そして、その人が楽器をくわえてパラパラッと音を出した瞬間・・・・
あれ・・・?クラリネットカッコいいかも・・・。
(つづく)
このレベルになるまで・・・は・・・。
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