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Ich stelle mich vor(ヒトミツヨシの出来かた) Archive

クラリネットです。(ツヨデキ1-9)

何とか即時破門を回避でき、A田先生(仮名)のお宅に通う事を許可されやっと「受験」と言うものにまっすぐに向き合う事が出来ました。僕が本当の意味で死に物狂いでクラリネットに取り組んだ時期と言うのは恥ずかしながらあまり無く、この時が数少ない「真剣期」の初回でした。A田先生のお宅は最寄り駅から少し離れていたとは言え、お宅でレッスンの時には必ず先生かピアニストの奥様が車でお迎えに来てくださると言う、今考えると申し訳なくも有り難い待遇でした。

 

肝心のクラリネットですが、奏法が極端に変わり、自分でもうまく行っているのかどうなのかわからないまま毎日が過ぎました。うまくなれている実感があまり持てずに、いったい自分はちゃんと吹けるようになるのだろうか?と、世の受験生たちが追い込みをかけている時期に、まるで初心者のようにしか吹けない自分が悲しくなったりしましたが、A田先生のおっしゃる事に従うしか無いと思い、練習に打ち込みました。

 

そんな矢先、やはり同い年でA田先生に師事して大学受験の準備をしている女の子が、島根大学の推薦入試を受けるんだという話をA田先生より聞きました。

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クラリネットやんなきゃ!!(ツヨデキ1-8)

高校三年の二学期、秋の文化祭も終わった9月の最終週のある日、僕は山陽本線に25分ほど乗ってとある駅に来ていました。学生服姿で少し寂しい駅舎の前に立っていると、僕の目の前に一台の高級車が止まり、中からスラッとした少しだけ目つきの鋭い男性が降りてきました。演奏会告知のチラシなどで見たことのあった顔、A田先生(仮名)でした。A田先生は僕を見て「人見くんだね」と確認し、僕は先生に促されて車の助手席に乗りました。果たしてこの時きちんとご挨拶したのか、車の中で何を話したのか、今覚えているのは当然緊張していた事と、車を運転するA田先生の横顔のみで、その他の事は全く覚えていません。

 

しばらく走ると住宅地に入り、間もなくA田先生のお宅に到着し、2階にある音楽部屋に通されました。

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クラリネットで??(ツヨデキ1-7)

一人で思い悩んでいる事を誰かに言ってみたり、進む事を迷っている道に一歩足を踏み出してみると、意外とその後はすんなり進んだり、色々いい方向に物事が運んだりする事もあります。僕自身がドイツ行きを決めた時も、決心した瞬間にドドドっと、自分が思ってるよりもずっと早く準備が進み、心が着いていってないのに不安になったりしつつもあっという間に渡独の日を迎えたのでした。

 

その約6年前、音楽の道を進むための最初の関門は、簡単には通過できませんでした。

 

進学の事を親と相談する前に学校の先生打ち明けるのは、確かに順序が逆。親にはなかなか言う勇気がありませんでしたが、ある日の夜、オーストラリア演奏旅行への参加についての話題が出たときに、今しかないと決意し、母に僕の希望を話しました。

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クラリネットやれる??(ツヨデキ1-6)

誰にも打ち明ける事ができないままではあるものの、クラリネットでの大学進学を決意し、春休みが終わり高校三年生になりました。そもそも音大受験を高三で決めるのは遅すぎるのだと言う事は理解していました。受験目的でなくともクラリネットの先生に師事し定期的にレッスンを受けていたならまだしも、結構クラリネットうまいと思ってるのは自分だけで、実の所はハチャメチャなレベルであった僕のクラリネットで、今から準備して入れる音楽大学はないだろうなと薄々感じてはいました。しかし浪人はしたくないなあとこの時は思っていました。そんな矢先ある本で、某オーケストラのクラリネット奏者の方が、日本の音楽大学を出ずに高校卒業後すぐにフランスに留学された・・・という話を読みました。

ん・・・?!これか!!

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クラリネットしかない???(ツヨデキ1-5)

僕の耳を釘付けにしたクラリネットの音の持ち主は、当時のベルリンフィルハーモニー管弦楽団首席奏者、カール・ライスターでした。



食わず嫌い・・・とでも言うのでしょうか、この「カール・ライスター」と言う名前は随分前に既に耳にしており、ベルリンフィルのクラリネット吹きだと言う事も知っていました。でも、人からどんなクラ吹きが好きなんだと問われた時には、ライスターみたいなのは好きじゃないなどと聴いた事も無いくせに言っていました。恥ずかしい限りです。その「好きじゃない」はずのライスターの音は、ちょっと前までロックミュージシャンになりたがってた17歳の少年を虜にしてしまいました。

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クラリネットやりたい??(ツヨデキ1-4)

話は数ヶ月戻り、高校二年の第二学期のはじめ頃、僕は中学入学以来の親友タケシ(仮名)と、やはり吹奏楽部でトランペットをしていた一学年下の後輩二人とでロックバンドを組み、学校の文化祭のロックのステージに参加すべく、まずはその予選のために夏休み前くらいから練習をしていました。音楽のイベントであるため、仕切っていた担当教師は吹奏楽部の顧問先生。しかし、彼は吹奏楽部の部員が文化祭ロックに参加する事をとても嫌がっていて、当時部の幹部でありながら参加していた僕は、随分とネチネチと文句を言われました。



この頃はまだクラリネット吹きよりもロックギタリストになりたいと言う夢の方が大きかったのですが、音楽にずっと触れてきた人間として、自分のギターのテクニックが全然そんなレベルじゃない事もわかっていました。それでも何かをきっかけにうまくなれるかも知れない・・・そんな思いを胸に、ホントに部活でのクラリネットの練習以上にバンドの練習に気持ちを傾けていました。そして、予選当日・・・

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クラリネットに打ち込む??(ツヨデキ1-3)

中三時の吹奏楽部の夏合宿に現れた先生は合符先生(仮名)。同じ岡山県内の某高校で、音楽科の非常勤講師としてこの年から着任された方でした。まず音に圧倒され、パラパラ動く指に圧倒され、持ってる楽器に圧倒され(当時Buffet社製の最高機種だったPrestige)パート練習を見て貰えばみんなの音が変わる…そう、僕がピアノでもてなかった存在「ヒーロー」にその時合符先生が思えました。そこから僕は合宿中どれだけ合符先生を質問攻めにしたかわかりません。

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クラリネット・・・カッコいい??(ツヨデキ1-2)

突然現れた先輩…コウジさん(仮名)と言った…に連れられて行った先には、十数人の先輩らしき人たちと、6人くらいの中学一年生がいました。そこでは、先輩たちがそれぞれなんか真っ黒なでっかい縦笛のようなものを吹き、中一の人たちは何かちっちゃなものを手に持ってピーとかキャーとか鳴らしていました。そのでっかい真っ黒な縦笛がクラリネット、ちっちゃい物がマウスピースと言うのだとコウジさんが教えてくれました。僕はその計約20名の前で紹介され、ある先輩が僕にもマウスピースを渡してくれました。そして、ピーキャーの集団に僕も加わりました。



とても親切にどうやってこのマウスピースをくわえるのかを先輩に教わり、思い切って息を吹き込みました。クラリネッティスト人見剛の人生初の音は・・・!!!

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クラリネットとの出会いまで(ツヨデキ1-1)

とりあえずは音楽の話と言うか、自己紹介というか…とにかく、趣味に偏り過ぎないお話からこのブログを始めようと思います。



3歳で家でピアノを教えていた母の生徒となり、音楽を「習う」事が始まりました。

普通の子は週に一度のレッスンの時だけ先生の前でピアノを弾くわけですが、僕は練習時にも「先生」の耳に音が届いてしまうという厳しい環境下にありました。それにもめげず、辞めると言う事がいやだった僕は、妹や弟が脱落していっても何となく母にピアノを習うことを続けておりました。決して真面目に取り組んでいたわけではないので、始めた年齢のみが巨匠級。僕が育ったのは岡山県の田舎町で男の友達にピアノを習うものは(多分)おらず、遊ぼうと誘いに来る友達に「ピアノの練習をしてからじゃないと…」と言って「女みたい!!」とからかわれるのが嫌だったのも、ピアノを一所懸命出来なかった理由の一つかも知れません。

あと、「ヒーローの不在」も。母にはよくテレビで放送される巨匠ピアニストのリサイタルを見させられたり、当時はまだ本当に希少だった岡山や倉敷での有名ピアニストのリサイタル等に連れて行かれ、凄い演奏を小さい頃から耳にしていたはずなのですが、あまりにもかけ離れた存在に思えて、憧れることさえも出来ませんでした。それよりは、テレビの歌番組をにぎわすアイドル歌手や、王選手や原選手などの巨人のプロ野球選手たちに憧れました。

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