- 2008年3月10日 22:37
- Ich stelle mich vor(ヒトミツヨシの出来かた)
僕の耳を釘付けにしたクラリネットの音の持ち主は、当時のベルリンフィルハーモニー管弦楽団首席奏者、カール・ライスターでした。
食わず嫌い・・・とでも言うのでしょうか、この「カール・ライスター」と言う名前は随分前に既に耳にしており、ベルリンフィルのクラリネット吹きだと言う事も知っていました。でも、人からどんなクラ吹きが好きなんだと問われた時には、ライスターみたいなのは好きじゃないなどと聴いた事も無いくせに言っていました。恥ずかしい限りです。その「好きじゃない」はずのライスターの音は、ちょっと前までロックミュージシャンになりたがってた17歳の少年を虜にしてしまいました。
次の日、部活に行くと、真っ先に「名曲集」などの楽譜が並べられている棚に向かい、クラリネットの本を手に取り、その巻末に「クラリネット協奏曲・モーツァルト」と書かれているのを探し当てました。そしてその日からしばらくの間は毎日この曲をパラパラ吹いてみて、どうやったらあの音が出るんだろうと試行錯誤し、ただひたすら半音高くモーツァルトのコンチェルトを吹奏楽部の部室やら家やらで吹きまくっていました。
(注:わかる方にはわかる話ですが、A管クラリネットのために書かれた曲を、B管クラリネットで吹いていたため半音高い状態。よくわからない方はコメントください)
そして春休みに入った頃、部にとある知らせが舞い込みました。わが部がその年の夏休みに、オーストラリアへ文化交流のために派遣される事になったのです。
しかしその夏休みとは高校三年の夏休み。僕のいた高校では多くの生徒が高三になると部活を引退して受験に専念しており、吹奏楽部の同級生も3分の1は高三になる前に部を去っていってました。我が家でも、帰宅して訪豪の話が来たと言う事を母に報告したところ、当然そんなものには参加せずに夏休みは受験勉強するんだよねと、ヤンワリと「参加は認めません」と言われました。
僕は一応理科系の大学受験を表明していました。もちろん、理科系の事にも興味があったからそうだったのですが、反面、ロックミュージシャンに憧れてたりもしたし、将来は音楽に携わる職業につきたいという気持ちもずっと心の中にありました。
最高学年になり、わが部の演奏は自分が引っ張っているのだと勝手に自負し、このオーストラリア遠征に自分が参加しないなんて有り得ないなどと自惚れ、そこでまた合符先生(仮名)に続くクラリネットのヒーローを見つけてしまった僕が考えた事は・・・
そうです。
「クラリネットやるしかない?!」
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