- 2008年3月13日 01:17
- Ich stelle mich vor(ヒトミツヨシの出来かた)
誰にも打ち明ける事ができないままではあるものの、クラリネットでの大学進学を決意し、春休みが終わり高校三年生になりました。そもそも音大受験を高三で決めるのは遅すぎるのだと言う事は理解していました。受験目的でなくともクラリネットの先生に師事し定期的にレッスンを受けていたならまだしも、結構クラリネットうまいと思ってるのは自分だけで、実の所はハチャメチャなレベルであった僕のクラリネットで、今から準備して入れる音楽大学はないだろうなと薄々感じてはいました。しかし浪人はしたくないなあとこの時は思っていました。そんな矢先ある本で、某オーケストラのクラリネット奏者の方が、日本の音楽大学を出ずに高校卒業後すぐにフランスに留学された・・・という話を読みました。
ん・・・?!これか!!
僕がクラリネット吹きになりたいという決意をするに至った原因のクラリネット奏者・ライスターは、ドイツで活躍するドイツ人でした。しかし、何故僕がフランスへ!と考えたのかと言うと・・・
ライスターのクラリネットの虜になってから、音楽関係の本を読んだりして色々調べた結果、どうやらこの世には大きく分けると2種類のクラリネットが存在し、僕が当時吹いていた楽器はフランスの物でライスターはドイツの物。違うシステム・・・単純に言えば運指が違う楽器を演奏しているのだと言う事がわかりました。道理で、どう頑張って真似しようとしても、同じ音が出せないわけだと納得してガッカリしました。その8年後にはそのライスターの愛弟子のもとで勉強してドイツの楽器を吹き始める事になったので、人生何があるかわからないのですが、その時にはそんな事は夢にも思いませんでした。
それで、自分はフランスの楽器を吹いているのだから、フランスに留学するんだと単純に考えていました。しかし、もちろん思っただけで夢がかなうわけではなく、まずは両親や学校の音楽の先生に話さなくてはなりません。早いうちに話さないといけないなと思っていましたが、やはりとんでもない事を口にする勇気がなかなか湧かず、ただただ過ぎていく日々に焦りを感じながら毎日をやり過ごしていました。
クラ吹きへの決意のもう一つの要因であったオーストラリア演奏旅行の準備はどんどん進んでいました。もう少しで夏休みという6月の終わり頃、そろそろきちんとオーストラリア行きの参加か不参加かを学校に正式に言わないといけない時期になっており、親から許可をまだもらっていなかった僕はついに留学したい旨を伝える決心をしました・・・が、やはり親には怖くて言えず、先に音楽の先生に話してからにしようと、ある日の昼休みに職員室を訪ね、音楽の先生(=吹奏楽部の顧問)に僕の思いを話しました。
先生は目を丸くしてキョトンとして僕の話を聞いていたかと思うと・・・
「お前気は確かか?」
当然の答えです。
そもそも、一番僕のクラリネットの実力を知っている人ですから、僕の言った事がいかにとんでもない事かよくわかっておいでです。「ふうん。で、フランス行って何するんじゃ?クラリネット習う?!誰がお前に教えてくれるんじゃ?」そんな風に言われました。言われっぱなしで悔しかったので「ら・・・ランスロに・・・」などと、唯一知っていたフランス人クラリネット奏者の名前を挙げたら「お前ランスロは知り合いか?お前が行きゃあ教えてくれるって言っとんか?」と。色んな事を言われ、こんな事を考えて打ち明けてしまった事を後悔し始めていましたが、もう口に出してしまった以上後には引けません。
とにかく、親にもまだ言っていないなどとは問題外なので、まずは家で話して相談してもし了解を得れればもう一度言いに来なさいという事と、今の実力で行っても出来る事なんてないのだから、まずは日本で音楽大学を目指しなさいという事を言われ、職員室を後にし、僕の大いなる最初の一歩(大げさ)は終わりました。
しかし、この先生との小バトルなどまだまだ序の口でありました。
(つづく)
ここまでの道のりはまだ遠い・・・。
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