- 2008年3月16日 17:01
- Ich stelle mich vor(ヒトミツヨシの出来かた)
一人で思い悩んでいる事を誰かに言ってみたり、進む事を迷っている道に一歩足を踏み出してみると、意外とその後はすんなり進んだり、色々いい方向に物事が運んだりする事もあります。僕自身がドイツ行きを決めた時も、決心した瞬間にドドドっと、自分が思ってるよりもずっと早く準備が進み、心が着いていってないのに不安になったりしつつもあっという間に渡独の日を迎えたのでした。
その約6年前、音楽の道を進むための最初の関門は、簡単には通過できませんでした。
進学の事を親と相談する前に学校の先生打ち明けるのは、確かに順序が逆。親にはなかなか言う勇気がありませんでしたが、ある日の夜、オーストラリア演奏旅行への参加についての話題が出たときに、今しかないと決意し、母に僕の希望を話しました。
家庭内の事を公表するのは少し恥ずかしいので、その夜の母とのやり取りは簡略化させていただきます。まずは大反対をされ、受験勉強が嫌になって、クラリネットで進学したいんだろうと言われましたが、それは違うという事と、オーストラリアには何が何でも行きたいのだという事を伝えました。ほどなく夏休みに入りましたが、その後の僕は毎日部活に行き、家では全く受験勉強をしなくなりました。無言の戦いをし合っているかのように、この件に関しての話題が家庭内ではしばらく出ませんでしたが、親側が折れて僕のクラリネットでの進学を許してくれ、無事オーストラリアへの演奏旅行にも参加出来、青春ドラマの一編のような時間を過ごし、9月の最初の日曜日にあった吹奏楽部の定期演奏会を終え、5年半の学校生活のほとんどを過ごした部活を引退しました。(・・・と、こうやって書いてみると大した関門ではなかったように思えてきました)
さて、親からも許可をもらったので、音楽の先生に再び音楽大学への進学を相談に行き、一度先生の家に母と一緒に話をしに行く事になりました。これは吹奏楽部の生徒が音楽受験を考えるときには必ずある儀式のようなものである事を後に知ったのですが、先生のお宅に伺いお話をする時にヴァイオリニストの奥様が同席され、この奥様に激しいダメ出しをされてヘコんで進学をあきらめた先輩方もけっこういたようです。
先生は半分は僕を思いとどまらせる気持ちがあったようなのですが、頼りになるはずの奥様はうちの母と親しい仲で、「あら、いいじゃな~い。やりなさいよ!」とダメ出しどころかむしろ推奨され、なんとも拍子抜けな感じで許可が出てしまいました。でももちろん、これから音楽科受験の準備をするという事に相当な覚悟が要るということをしっかりと諭されました。この時点で高三の9月なので、浪人も当然覚悟しなくてはなりません。また、受験間近には志望大学の先生にもレッスンをしていただくとしても、当面は地元岡山のクラリネットの先生の所へ通い、音大受験出来るレベルのクラリネットが吹けるようになる事と言うのがさしあたっての最優先事項でした。学校の音楽の先生は、岡山にあるSY音楽大学のA田先生(仮名)の所にレッスンに通えるべく、連絡を取ってくださるという事でした。
その次の日から、音楽の先生からは毎日楽典の課題を出され、家では母にソルフェージュ関連のレッスンを受け、クラリネットとピアノの練習をする日々が始まりました。そして、A田先生のレッスンを受ける許可が下りたとの連絡を音楽の先生より受け、A田先生に電話をかけ、最初のレッスンにうかがう日が9月の最後の週に決まったのです。
(つづく)
やっとスタートライン。
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