- 2008年3月21日 19:50
- Ich stelle mich vor(ヒトミツヨシの出来かた)
高校三年の二学期、秋の文化祭も終わった9月の最終週のある日、僕は山陽本線に25分ほど乗ってとある駅に来ていました。学生服姿で少し寂しい駅舎の前に立っていると、僕の目の前に一台の高級車が止まり、中からスラッとした少しだけ目つきの鋭い男性が降りてきました。演奏会告知のチラシなどで見たことのあった顔、A田先生(仮名)でした。A田先生は僕を見て「人見くんだね」と確認し、僕は先生に促されて車の助手席に乗りました。果たしてこの時きちんとご挨拶したのか、車の中で何を話したのか、今覚えているのは当然緊張していた事と、車を運転するA田先生の横顔のみで、その他の事は全く覚えていません。
しばらく走ると住宅地に入り、間もなくA田先生のお宅に到着し、2階にある音楽部屋に通されました。
今考えると、当時A田先生は、オーストリアのウィーン郊外の街ののオーケストラを退団されて故郷岡山に戻って数年しか経っていなかった頃です。建てられてそう年数の経ってないお宅の広い音楽部屋にはグランドピアノがデンと置いてあり、お部屋の壁に貼られているポスターを見て、奥様はピアニストだと言う事を知りました。
部屋に通されて数分間、僕は一人でドキドキしながら待っていました。合符先生(仮名)に一度だけ個人レッスンのようなものを受けたことはありましたが、もう知り合いになって3年くらいたってからのレッスンでしたし、演奏会の出し物を見ていただくためだったので、少し楽な気持ちでその時は受講できました。しかし今回は大学受験を目的としたレッスンで、しかも今日始めてお会いした先生に、高三のこの時期に音楽受験を始めるなんて無謀な話をしに来たわけで、いったいどんなダメ出しをされるのかと震えながら部屋の中に座っていました。
しばらくして、楽器のケースを持ってA田先生が部屋に入って来ました。そして、ビクビクしながら(多分この時にやっと)自己紹介をし、無謀な挑戦をする事をお話しました。それで、楽器を出し、とりあえず練習してきたRoseの練習曲集の一番最初の曲を(恐らく)ボロボロにA田先生の前で吹きました。
音も間違え、息も絶え絶えになりながら何とか最後の音までたどり着き、恐る恐る最初の先生のお言葉を待ちました。ああ・・・面倒見切れないよ。やめたら?・・・とか言われちゃうんだろうなあ・・・始める前から受験断念に追い込まれるんだろうか・・・などと、あまりにもひどく吹いたので、ネガティヴな言葉しか予想できませんでした。
「ダメだなー」
やっぱり。
A田先生は最初にそう一言僕に言われました。
が、もちろん演奏もダメなのだが、いけないのは、マウスピース、リード、リガチュア(注:クラリネットの音を出すために必要で重要な物です)であると言われました。
(参考までに当時の僕が使用していたのはマウスピースがヴァンドレン11.6、リードがヴァンドレンV12の4半、リガチュアがハリソンのゴールドです。あと、リードの番号は、数が大きいほど厚くて重いです)
とにかく、基礎が出来ていないのに、オーソドックスなものを使っていなくて、これ以上うまくなれるはずがない!だいたい4半のリードだなんてどうかしている!高級なリガチュアだって、うまくなって問題なく吹けて、それでこれ以上の音を出したいと思った時に初めて変えていいものだ・・・などと、演奏の何倍も、使用している物についてのダメ出しをされてしまいました。そこでA田先生に出された課題が、マウスピースは仕方ないとして、リードは普通のやつの3番に、リガチュアは楽器についていたオーソドックスな物に変えて、次回のレッスンまでにそれが普通に吹けるようにしてくる事。出来てなければ破門という事でした。とりあえず、即時破門は免れ、ホッとしました。
次の日、僕は楽器屋に行き、ヴァンドレンの普通の3番のリードを買い、自分の楽器についていたリガチュアは紛失してしまっていたために、吹奏楽部の後輩に頼み込んで僕のハリソンと交換してもらい、一気に抵抗の少なくなってしまったリードで普通に吹けるようになる特訓を始めました。
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